私が今の仕事にたどり着くまでの話 Vol.2

皆さんこんにちは。IPC独立系国際不動産コンサルタントの市川隆久です。

前回は、私が大学で中国語を専攻したのに全く畑違いのリクルートに入社を決めて、いきなり内定者の時に営業マンとして働いた話をしましたが、今回はその続き。

リクルートに内定してからリクルートが何をしているかを始めて知った私でした。
そもそも就職活動をしている意識もないまま、内定めいたものを頂いたので、具体的な仕事内容を聞こうなんぞは、全く意識になかったです。

リクルートの採用活動を赤裸々に語ると、ご迷惑をかける気もしますので、具体的には控えますが、私が思うに、「いろいろな手法でアプローチをかけて集め、会社が良いと思う学生をその気にさせる」という、ネット社会になる前には完璧にリードした手法、だと思います。

今はSNSやネットの世界によって、学生へのアプローチの手法は、昔ほど単純ではないと思いますが、一旦リスト化されたターゲットにどのようにクロージングして行くか、という、いわゆる「営業活動」の見本と言っても良いこの手法は、営業を組織化したい会社にも見事なほどのクオリティを持っている、と思っています。

リクルートの商品は、当時は広告雑誌。ポイントは、いかに多くの情報が、わかりやすく整理されて掲載されているか、そして、比較検討がしやすいか、という、今のコンピュータが得意なことを人間が行なっていました。

収益は広告掲載料。原価は雑誌の制作費と印刷費、あとは一般管理費として人件費、事務所賃料などの固定費など。
当時の雑誌「週刊就職情報」「とらばーゆ」「フロムエー」「週刊住宅情報」などは、一冊200円程度の有料誌でしたが、雑誌の売上は、キオスクやコンビニなどの販売経路獲得の費用に使い、圧倒的に一番の媒体にすることに徹していました。
それで広告掲載料を出来るだけ高く設定して、売上を伸ばし、制作費や印刷費は極限まで安く抑えて、利益率を上げます。

また、当時から事業部ごとに収益を管理する、プロフィット制度という手法を導入していました。 ドラッガーの「現代の経営」という本には既に載っているアメリカ流の経営手法を、リクルート創業者の江副浩正さんは取り入れていましたね。

これは、何が良いか。
社員が自分の部門は利益を上げているか、を常に問われている環境に置かれており、おかげで私は、押さえるのは売上よりも利益だ!ということが自然と身についたのです。

そうすると、部門ごとが会社であり、部門最適よりも全体最適という経営者目線で仕事をすることになりますね。

まあこの話も誰かに教わったわけではなく、自分で考えてやらせてもらえた環境があってのことですが。
(この話は、リクルートから入社初日に出向した、今のコスモスイニシアの黎明期の仕事の話の時に詳しく書きます)

話をリクルートのことに戻しますが、原価は極力抑えてもどこにお金を使うかと言うと、人件費や採用費です。

わかりやすい言葉で言うと、優秀で根性があって、自分から考えて行動出来る学生を採用する。

独立志向が旺盛がどうかは、特に考慮はしていないと思います。要は「自分で考えて行動出来る人」 当時の社是が「自ら機会を作り出し機会によって自らを変えよ」ですから、それが出来そうな人を採用する。

私も誰に教わることもなく、自らの成長が会社にも貢献する、と本気で思っていましたからね。

それでも問題は、やはりそこそこ出来る人でないと、ということと、人が見ていないときにもちゃんとやる、という人を探して、そういう学生を採用する、ということ。

当時の社名の「株式会社日本リクルートセンター」ですから、男子学生からは無名です。女子には「全くの男女平等な待遇」の会社ですから、人気はありましたね。大学生の就職人気ランキングには、リクルート調べなので、自社のことは載せていなかったですが、実際は女子での4位くらいの人気だったと聞いています。
男子は100位に入っていたかどうか、ということだったらしいです。

そんなわけですから、リクルートに入りたい、という学生よりも、採用担当が、この学生を採用したい、というスタンスだったので、いわゆる面接や試験などは大卒に関しては、ほとんどしないところでの採用活動がポイントだったですね。

採用担当は営業マンで、採りたい学生をいかに採用し、入りたくても向かない学生にはいかに採用しないか、という、ことを入社一年目から実践している。
なので、役員面接は付録のようなもの、でしたね。

そこそこ高い給料と若いときからの権限委譲。
今のリクルートはよく知らないですが、当時のリクルートは、見事に実践していましたね。
それもそのはず、若い社員しかいなかった、ということですね。
高度成長期の日本を作った企業では中々変換出来なかったタイミングで、当時は早くからダイナミックな組織化を実現出来たのは、その仕組みを早くから導入したこと、なのでしょうね。江副さんは凄い方ですが、組織化できていたことが、リクルート事件後も会社が成長出来たと思います。

まあ、良くも悪くもリクルートという会社は極めて合理的でありながら、営業現場の力量を引き出せる仕組みをうまく持った会社だな、と思います。
だから、リクルート事件後創業者から離れても、利益を生み出すことにおいては、一流と言える会社であり、リクルート出身者が辞めたあとにも、各方面で活躍する人材を輩出していることに繋がる、と思います。

現に、海外不動産の創世記を作ったステージアキャピタルの奥村さんは私のリクルート同期入社ですしね。他にも有名な経営者はいますね。

リクルートで一番大切なポジションの役職は、肩書きはいろいろありますが、いわゆる当時の課長クラスだと思います。
しかも当時は20代で課長になれる会社で、実際私も27歳で課長になりましたが、その時の経験が今の全てを作っている、と言っても過言ではないと思うくらい充実していました。
一言で言うと、「数字とマネジメントの両方を要求され、自ら考えて実践した」ということです。

実はこの話は、私が「今の不動産に関する基本的なスタンスを決めた大きな経験」につながります。

今回はここまで。
続きは次回に

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